夢から覚めた村人が島に行き、おそるおそる光をたどっていくと岩谷(いわや)の中に三寸(さんずん)ほどの木彫りの弁天像があったのです。村人はそれを大事に抱え、茅葺(かやぶき)の小さな祠(ほこら)を建てて、弁天像を祀りました。しばらくたって、弘法大師(こうぼうだいし)がその話を聞き、お寄りになった際にその弁天像を見たところ、
「これは間違いなく私が、但馬(たじま)の国で願いをかけて彫った弁財天である」と大変驚かれました。
そして弘法大師(こうぼうだいし)はここにお寺を建て、紅龍山(こうりゅうざん)と名付け、村の名前には天女(てんにょ)のご利益(りやく)にあやかり「布施(ふせ)」という名をつけられました。
弘法大師(こうぼうだいし)からこの話をお聞きになった嵯峨(さが)天皇はとても感動し、お寺に田畑を与え、いくつかの建物を建てて、この寺を天皇家の祈りをささげる勅願所(ちょくがんしょ)に定められたということです。